二ヶ領用水は1590(天正18)年に多摩川が大洪水を起こして流路を変えたことから、新たに農業用水を引き、水田を開発するために小泉次大夫によって作られました。この用水により、川崎領と稲毛領(二ヶ領)での米の栽培が盛んとなり、ここで栽培された米は稲毛米と呼ばれて、江戸近郊のお米として人気があった。二ヶ領用水は、1616(慶長16)年に完成。多摩川に2箇所の堰を設けて一つは上河原堰、もうひとつは宿川原堰で取水しました。今の川崎市全体に枝分かれし、その幹線水路の全長は約32kmと言われました。